2013年御翼12月号その3

幸福の素″というリスト

 「先生、私は幸福になれるでしょうか。私は今幸福ではありません。幸福になりたいのです」と、いかにもビジネスで成功したと思われる四十前後の男性が、ピール牧師に相談した。「私は別にこの問題の権威というわけではありません。ただ、私自身幸福ですから、どのようにしてそうなれたかお話しすることはできます。私は幸福の素″というリストをつくっています」とピール牧師は言って、リストを書き出した。ホットケーキの素″をもじって幸福の素″と名づけたこのリストは、次のようなものである。

 @霊的経験、A心がやすらかである、B落ち着いている、C楽しい、D高揚感がある、E懸命に努力している、F胃腸が丈夫である、G健康である、H愛する人がいる、I自分を愛してくれる人がいる、J生活できるだけのお金がある。

 「これはあくまで私の基準ですから、他の人に尋ねたらこれとは違った項目を挙げるかもしれません。このリストに関し、あなたはご自分にどういう点をつけますか。あなたは幸福の条件を備えていらっしゃいますか」と牧師は尋ねると、彼はリストを検討した。「J、I、Hは合格のようです。GとFは完璧です。Eも大丈夫です。しかし、D、C、B、Aはどうも落第のようです。それから@については何のことだか意味さえわかりません。得点はせいぜい五〇点というところでしょう。霊的経験とは、どういう意味か教えてください」と男性は聞いてきた。ピール牧師は、「直接イエスと話し、自分も彼のように生きたいと言うのです。もし本気でそうなさるなら、キリストのように生きる力がわいてきて、それにともない喜びを感じるようになるでしょう。これが私の言う霊的経験″です」と答え、更に言った。
 「霊的経験″とは心が澄みわたり、安らかで、力があふれ、歓喜に満ちた最高の経験のことなのです。そういう境地に達すれば、うんざりするようなことも何でもなく感じられるようになるのです。幸福というものはそれ自体が目標になると決してやってこないものなのです。幸福は何か価値のあることに真剣に打ちこんでいるときに副産物として生まれるものなのです。私の場合、牧師としてキリストのために働くことで幸せになれたのです」と。そしてこの男性もその後、信仰をとり戻して、生き生きしてきたという。
 キリストに従うとは、聖書にあるイエス様の言葉を実行することである。その時、「幸福の素」と言われるリストが、副産物として与えられるのだ。

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